« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

2006年6月28日 (水)

オシム依存症は大丈夫か!

本日現在、オシムが代表監督を受諾するするのか、拒絶するのか、合わせて千葉の監督の地位を去るのかどうか、まったくもって分かりません。ただ、もう、こうなってしまったからには、代表監督を受けてもらいたいと思います。ジェフはアマルの下、リーグ制覇、カップ戦優勝を目指しましょう。
 振り返って考えてみれば、オシムがこんなに長くジェフにいてくれるとは予想外だったのではないですか。オシム→アマルはもっと早く実行されていてもおかしくなかったのではないですか。昨年のナビ杯制覇を機にオシム勇退を考えたサポーターも少なくないと思います。いつまでもオシムに頼っていてはいけないなということは、昨年か一昨年、話題になりませんでしたか。
 今回の件はジェフというチームが、サポーターが、将来に向けて勇気を持ってリスクを取れるか、チャレンジできるか、と問われているような気がします。オシムにしても、代表監督に就任することはその経歴に傷をつけるだけだという人もいます。しかし、あえてそれにチャレンジしようとしています(少なくとも、現時点において断ってはいません)。
 オシムの言葉に心酔し感銘を受けていたいたサポーターが、否応なく当事者としてそれらの言葉に直面せざるを得なくなっている、それが今の状況でしょう。

ハムレットではありませんが、リスクを取るか、取らないか、それが問題だ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年6月24日 (土)

オシム・・言っちゃたよ??

川淵キャプテンがポロっと洩らした名前はオジェックではなくオシムでした。交渉途上で名前を明かしてしまったことは、たとえ故意ではなくても、交渉相手の信頼を損ねる行為であり、オシムが断るとすればひとつの新たな理由ができたことになるでしょうが、それはともかく、ジェフサポ的にはついに来てしまったこの問題をどう考えるのでしょう。

私は、この際引き受けてもらいたいと思います。新聞では今年は兼任などと出ていますが、チームはアマルに引き継いで代表に専念して欲しいと思います。
代表はサッカー選手全ての目標であり、あり続けなければいけません。それだけ輝かしい存在でなければなりません。代表が輝いていた時期、古くはメキシコオリンピック、最近ならジョホールバルでしょうか。今はどん底でしょう。どん底代表の建て直しを託せる監督は誰か、世界を知りなおかつJ2まで把握しているオシム、この時期、これ以上適任な監督候補は世界中探していないはずです。
ジェフはオシム就任以来、いい思いをさせてもらってきました。毎年、今年で終わりか、今年で終わりかとハラハラしながら、結局は4年目に突入しました。オシム就任以来のチームのパフォーマンスの高さには文句のつけようがありません。ベルデニックのように他チームへ引き抜かれるのはまっぴらですが、代表監督就任ならばぜひお願いしたい。日本のサッカー界全体が、選手だけでなく、協会も、メディアも、サポも含めてレベルアップできるんじゃないでしょうか。

ところで、報道ではジェフとの契約が切れるまでは兼任をオシムが希望しているらしいです。本人が希望するならとやかくいう筋合いではないですが、もし、就任したら8月にはチームとしてリーグ戦とA3、代表としてアジアカップがあるので、就任早々から超多忙な毎日を送ることになるでしょう。気候も蒸し暑い7,8月だし、体調崩さないか心配です。それに、代表のメンバー次第では『ジェフ贔屓』とあらぬ批判をされることを覚悟しないといけないですね。ジーコの鹿島枠と一緒です。阿部と巻以外を召集したら、誰かが必ず言い出すし、それを煽るメディアが出てきます。日本のメディアは平気で手のひら返しますから。こんな雑音に苛まれるくらいなら、これを期にアマルにバトンタッチしてしまうのもありだと思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月23日 (金)

戦犯探し、この愚かな行為

日本のWカップが終わりました。4年後に向けて次期監督探しが本格化しようとしています。いや、きっと、もう、それも終盤戦でしょう。
監督探しには協会が血眼になっていますが、サポやメディアの間では戦犯探しが真っ盛りのようです。
やめませんか、こんな無益で不愉快なことは。少なくともあなたに「12」を背負っているという自負があるならば、すべてが終わった今、仲間同志で誹謗しあう意味はありあません。

戦犯探しより、真剣勝負の場に現れたブラジルの姿を目に焼きつけましょう。そのほうが、よっぽど将来のためです。
ジーコは、ブラジルといえどもモンスターではないと記者に語ったそうですが、私の目には強大なモンスターでしたよ。日本がどんなに頑張っても歯が立たないモンスターでした。こんなに地力が違うとは、いくらなんでも思わなかった、というのが直接対決を見た率直な印象です。ブラジルの強さはいろんなメディアの情報から認識していたつもりでしたが、そういう情報と日本を頭の中で戦わせても、今ひとつピンと来なかった。それが、今回の対戦ではっきりしました。そこには、私の想像を絶する開きが存在していました。マイアミの奇跡はたまたま起きただけだった。完璧脱帽です。「井の中の蛙、大海を知らず」、おそらくは、日本より実力は上であろうけれどもWカップ出場を逃したヨーロッパの国々には会わせる顔もない心境です。

古い言葉で申し訳ないけど、

    「臥薪嘗胆」

4年後にむけて、1からトライし直しましょう。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

刀折れ、矢尽き・・・

それでも人生はつづく・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月22日 (木)

ブラジル戦に望むこと

オーストラリア戦の前はブラジルに勝てるとはほとんど考えていなかった。

オーストラリア戦の後はブラジルと引き分けられると期待しだした。

クロアチア戦の後はブラジルに勝てると言い出した。

ここ1、2週間の日本のメディアの変遷はこんなところでしょうか。

第2次世界大戦の当時、日本はミッドウェイ海戦に敗れてからというもの、南方ではアメリカに連戦連敗でした。敗走する日本軍を、当時の、大本営、新聞は「転戦」と表現して日本が負けているという事実は国民には伝わらなかったのです。

さて、今のWカップをめぐるメディアの論調は、「敗走」を「転戦」と表現したかつての新聞に似ていると思いませんか。圧倒的に不利な状況でありながら、首の皮1枚の可能性を針小棒大に言い募って世論を煽っています。オーストラリア戦の敗戦を踏まえるならば、クロアチア戦は、勝点1を稼いだ試合ではなく、勝点2を失った試合です。でも、メディアは、次につながる勝点1と評してブラジルに勝てるとエスカレートしていきます。

この1,2週間のうちにブラジルはそんなに弱くなりましたか、日本は大幅に強くなりましたか。少なくとも、オーストラリア戦前にブラジルに勝てるなんて記事を書いたら、おそらくボツでしょう。現時点では、ブラジルに勝つのはかなり難しいというほうが正当な評価でしょう。どうして正直にそう言わないのでしょうか。こう言うと非国民になっちゃうのですか。

私は別に日本はブラジルに負ければいいと思っているわけではありません。勝って欲しいと思っています。ただ、勝てるとはほとんど思っていません(多少は期待していますが)。
選手がブラジルに勝つという信念を持って練習し試合に臨むべきであることは当然です。周囲がそれを応援するのも大賛成です。ですが、今の日本の状況は、応援しているというのではなく、勝ちたいを勝てると言い変えて、お祭り騒ぎではしゃいでるだけのように思います。クロアチア戦の敗戦直後、笑顔のサポーターがテレビに映し出されました。本当に応援してたら悔しくて笑顔なんか出ないでしょう。でも、はしゃいでいるだけだから、悔しさなんか感じないんですね。だからカメラが向けられると笑顔が出るんですよ。メディアが今のような論調で世論を煽る限り、応援してるんだかはしゃいでるんだか分からない、こういうサポーターが増殖していくんでしょうね。

ただ勝てる勝てるとまくし立てるのは応援とは違います。ただの慢心、あるいは空騒ぎに過ぎません。慢心したら勝てませんよね。

私は日本を応援していますが、ブラジル戦で成し遂げて欲しいことは勝点を上げることではありません。

今、日本のFW陣は世界からこき下ろされています(親日家のリトバルスキーにまで辛辣に貶されたのはちょっと悲しかった)。ブラジル戦ではなんとしても得点をあげてこの汚名を雪いで欲しい、日本の誇る中盤の力を世界に示してブラジルに肉薄して欲しい。勝ちたいという執念が、きっと試合の内容も高めてくれます。そういう試合をブラジル相手に見せてください。勝点云々はクロアチア戦までで終わった話です。

桜のように、ぱっと咲いてぱっと散る、これもたしかサムライの道でしたよね。

※ 第2次世界大戦云々と書きましたが、これは人から聞いた話で、私はそのころはまだこの世に存在していませんでした。念のため。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月19日 (月)

ジーコジャパンの理想と現実

2チャンによると、次期代表監督にと、協会からオシムへオファーがあったそうな。結果としてこの線はなくなったようですが、この情報を機に考えたことを書き留めます。

ジーコは就任当初から選手に自由を与えるという基本方針を良くも悪くも貫いたと言っていいでしょう。規律を重んじたトルシエからは正反対のチーム作りであり、あまりの自由さに,選手からもある程度の約束事は必要ではとの話も漏れてきたこともありました。

ところで、オシムはクロアチア・サッカーニュースの記事だったと思いますが、日本を評してこんなことを言ってました。いわく、日本サッカーはブラジルから多くのことを学んだが、ひとつだけ学べていないものがある。それは責任を引き受けるということだ、と。ゴールを前にしてシュートせずにパスを選択する、失敗を恐れて責任転嫁パスに逃げるプレイは残念ながらJリーグでもしばしば目にします。シュート打てよ、といらだった経験をしたことのないサポーターはほとんどいないでしょう(もっとも、選手は、自分が打つよりパスを出した選手のほうが入る可能性が高かったなどと弁明しますが)。

ジーコはそういう日本人選手に自由を与え続けてきました。4年にわたる壮大な実験と捉えれば、Wカップの結果はともかくとして、将来にわたる日本サッカーに対して貴重な示唆を与えてくれたという評価も可能かもしれません。

さて、トルシエから4年を経た日本代表は与えられた自由をどう使ってきたのでしょうか。自由を与えたジーコの意図は実現されたのでしょうか。私の評価としては、残念ながら失敗に終わった(もうすぐ終わる)ということだと思います。
ジーコは日本の選手の高い技術を認めて、そういう選手にピッチ上で自由に振舞ってもらうことでクリエイティブなサッカーができると期待したと思うのですが、現実はそうはならなかった。いくら自由をもらっても、責任を引き受けたがらない日本人は、自由にサッカーすることで、結果として責任が自分にくることを嫌ったのではないでしょうか。あるいは、独創性に乏しい日本人の習性として、いきなり自由だなんていわれてもとまどうばかりで、どうしていいか分からなかったのかもしれません。自由よりは規律があって、規律どおりやっていさえすれば責任を問われないトルシエ流サッカーのほうが合っていたのだと思います。

この4年間、ジーコには様々な口撃が浴びせられてきました。私もジーコの代表監督は反対でした。ただ、今になって思うと、代表の現状をジーコの責任と決め付けることには躊躇を感じます。もし、選手たちが責任を回避せず、与えられた自由を行使していれば、ひょっとしたらこの4年間で代表は1段も2段もステップアップできたのではないか、そして、そういうサッカーがJリーグへフィードバックされて日本全体のサッカーがレベルアップすることができたのではないか、そういうチャンスだったかもしれないと思うのです。

ジーコ監督は登場する時期が早すぎたのかもしれません。私の中では、あと10年か20年くらいたったら、もう1度ジーコのような監督も面白いかもしれないと密かに思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

失うものは何もない・・・だから勝てない!

巻のプレイを当たり前のように見ている者からすると、代表の動きは全般に物足りないですね。気持ちが伝わってこない。勝利への執念を持ち合わせていないみたいです。
失うものは何もないから思い切って行け、リスクを恐れるな、と言ってるレベルでは所詮Wカップは勝ち抜けないんですね。クロアチアサポーターはテレビのインタビューで「国の誇りを賭けて戦うんだ」と言ってました。失うものを背負って戦ってるんですよ。失うものがある、ということがモチベーションを高めているんじゃないですか。失うものがあると、それがプレッシャーとなって萎縮してしまうようなひ弱なチームなら、Wカップに出る資格ないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月13日 (火)

もう、切り替えちゃうの?

オーストラリア戦、最後の最後で台無しになってしまいました。中田はドイツ戦と同じミスを犯したと言ってますが、それ以上のミスでしょう。真剣勝負の場なんですから。

負けたあとのコメントには「切り替えて」という言葉が頻繁に出てきます。今回も選手、マスコミ、サポーターが決まり文句のように「切り替え」を連発しています。負けてしまったことをくよくよ後悔しても仕方ない、だから切り替えて次に備える、それはそれでいいのですが、試合直後から「切り替え」「切り替え」と連呼するのはいかがなものかと思います。切り替える前に、この負けた試合を見直すことが必要なはずです。切り替えるのはその後からで間に合います。
まだ、決勝トーナメントに残る可能性がある、クロアチアに勝てばいいブラジルに勝てばいい、おっしゃるとおりです。だけど、それならオーストラリア戦はいったいなんだったんですか。戦前は、オーストラリア戦は絶対勝たなければいけない試合、最悪でも引き分けでなければならない試合だったはずではないですか。ジーコジャパンは大事な最初のステップを踏み外してしまったのです。このことを棚に上げて「切り替えて」欲しくはないです。

「切り替える」という言葉は次を目指す前向きなニュアンスをもって使われるべき言葉だと思いますが、今の使われ方は失敗から目を背ける、臭い物に蓋をして忘れてしまう、そういう後ろ向きなニュアンスがプンプンします。
同じミスを繰り返さないために、「切り替える」のはもう少し待って欲しい。オーストラリア戦をみんなで振り返って、嫌な思いや腹立たしさ、情けなさ、不甲斐なさを肝に銘じて欲しい。

クロアチア戦までまだ5日もあります。決勝トーナメント云々はこの際止めましょう。人事を尽くして天命をまつ。ジーコジャパンには悔いの残らないよう人事を尽くして欲しいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月10日 (土)

連覇へのホップ

ナビスコ、BEST4進出でいい中断期間になりました。これからしばらくは撮りだめしたDVDに浸って再開を待ちます。

セレッソ戦は6000の入りで、ややさびしいかなと思ったら、他の2試合よりは観客数も多かったんですね。喜んでいいのやら、どうやら。中断前の最後の試合ということで、もちろん職場から直行しました。千葉駅で巻に遭遇しました。

Photo 遠い異国の地で頑張っておくれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年6月 5日 (月)

「走る」 中田の嘆き

ナビスコのセレッソ戦録画を見ました。昨日は代表のマルタ戦を見て中田のコメントを読みました。
「走る」ことの大切さと難しさ、好対照でした。

思えば、4年前オシムが監督に就任したころは、JEFの選手はサイボーグなどと揶揄され、他チームからは「走る」ことがあたかも低級なことのように馬鹿にされていた時期がありましたが、最近の他チームのコンセプトには「走る」ことを肯定的に意識したものが出てきました。エスパの「駆ける思い」などはいい例でしょう。
JリーグがオシムとJEFのサッカーに触発されてサッカーの原点に改めて目を向けはじめた、と言ったら言い過ぎでしょうか。

サッカーに限らず、何事でも最初はガムシャラで労を惜しまないものですが、少し時間がたって経験が蓄積されると、効率を考えるようになるものです。走る「労」を技術という「効率」で補う。こうなると、補え切れなくても、もう走るという「労」を取ることはできなくなってしまいます。足りないところは技術で補う、というようにますます「効率」に頼ります。「楽」を手放すことは簡単ではありませんから。

JEFもしかり。オシム就任当初は選手からの不満もあったと聞いています。そりゃ、そうでしょう。誰だって楽したいですから。
でも、JEFは「効率」に頼らず、再び「労」をとりにいきました。まあ、オシムが立ちはだかって「労」を取らされたといったほうがおそらく正確でしょうが。
そして、今のJEFがあります。

今、JEFは90分間ひたすら「走る」のではなく、「走り」の質、「賢く走る」ということを追求しているようです。人間の体力に限界がある以上、90分戦いきるうえで当然の方向性ではありますが、「労」を「効率」で補おうとしているとも言えるわけで、一歩誤れば「走り」を軽んじた原点軽視のサッカーに迷い込んでしまう危険も孕んでいます。
「賢く走る」という言葉が「走る」という「労」を否定する意味合いに誤解されないよう、JEFの選手にはこれからも模範を示してもらいたいなあと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »